光らない輝石

2004年3月9日
あの時から丁度一年

家族と一緒に墓参りに行く
予約を入れてなかったので塔婆は13日に改めて。

父の死によって考えさせられ
死んだその時から時が経つにつれて次第と
自分の考えに深く影響するようになった。

残念な出来事だったけど
いくら悔やんでも帰ってくるわけでもないものだから
これを自分のプラスになるようにしていこう。

これからがあるよね

関係ないけど…
報道されている事件なんてホンの一握りだな
なんて実際に思ったりして。

帰郷

2004年3月7日
約一年間

いろいろあったなぁ。

ちゃっちゃと手続きを済ませ
思い出と一緒に荷物を業者に預け
清掃・ゴミ出し

鍵を返して

さようなら新宿

思い出は

家に帰ってからゆっくり整理しようかな

整理しよう

2003年5月20日
自分のしたいこと
しなければならないこと
整理してきちんと実行しなくてはならない。

こんがらがった紐でも解いてゆけばまっすぐになる。
今はまだまっすぐになっていないだけ。
行き先を明確にし、進行方向を定めておかなくてはならない。

連休

2003年4月29日
2連休をもらったので実家に帰ってきました。
実際逆で、実家に帰ってくるために連休をもらったわけなんですけど。

帰ってくるとき新幹線使おうかどうか迷いましたが鈍行にしました。
駅から家までタクシーにしてしまおうかと思いましたが歩きにしました。
じゃあ浮いたお金でご飯でも買って帰ってやるか、なんてね。

ほとんど外泊生活で休まる暇がないけれど、たまに帰ってくると家って本当に休まるものだなと感じました。

さて、せっかくの休暇もすることがたくさんです。今日も明日もあちこちで用事を済ませることに終始しそうです、ただそれでも余裕はありますけど。

笑顔、最近生まれてきたと思います。私のことじゃないよ。

あと健康管理に気を配らないとね。

計画を実行

2003年4月11日
ええ、計画した通りにことが進むなんて事はまずないと改めて認識しましたよ、だけど不可能じゃないこともわかりましたよ。

そしてめげずにがんばることも重要だとわかりましたよ。

家賃3万5千の部屋を借りてるようなものであるから後は荷物の問題だけクリアすれば何とかなりそうだ。

考えたことは実際に行動に移さないと気が済まないわけで、果たしてこれがいつまで続くのかは自分次第である。

ただ、部屋を確実に確保できるわけじゃないので、少々高くても家賃を払って生活するということは安心をお金で買っているということなんだろうなと思うわけで。
もちろんお金欲しいけどさ、時間があればしたいことがあるよ、できなかったこと、たくさん。

追記
そりゃあんた通勤片道3時間じゃそう思うのも無理ないわけで・・・

再計算

2003年4月8日
過去はすべて清算しないといけません。
清算するために3ヶ月は身を削りましょう。
6ヶ月でようやく清算。
できたら拍手喝采。
その代わり遊べませんが。

もともと遊びなんか大してできないつまらない人間ですからそのあたりはきっと大丈夫だと思います。

電車の中でも家に帰ってからでも仕事の最中でも数字が頭に浮かぶ、若干ノイローゼ気味だ。
手帳がほとんど意味もない数字で埋め尽くされている、素人判断・皮算用どれをとっても中途半端。
選択を早まっていたのはわかっていたがいまさらどうこう言ってももう遅い。しかし切羽詰っているからこそ明確な目標を立てざるを得ない状況になりかえってよかったかもしれない、些細なことは気にしない。

どうしても捨てきれないものがある、このまま引きずっていくべきなのだろうか、きれいさっぱりあきらめるべきなのだろうか、こいつは実際に自立の妨げになっているだろう、今のところこいつを抱えて生きていくことに揺らぎはない。そう決めたのなら今の矛盾とうまく付き合っていくしかない、今できなければ一生できない、できなければ首を吊る覚悟。
失敗の理由は順序の間違い、どうしてもしたいことでも、やらなくてはならないことでももっと優先すべきものがあるのならそれを優先しなければならないということであった。

毎日が重要な選択の連続、とても楽しい、気が抜けない。

疲れ気味・・・

2003年4月7日
物件探して幾歳月、いやほんの数日ですけど。
相場を知って予算とにらめっこ、ワンルームでこれだけするなんて…いや、ワンルームってどこでも結構かかるものらしい小田原のワンルームでもけっこうな値。
小田原で乗り換えの待ち時間が30分近くあるので駅から出て不動産をまわったらそんな感じでした。

がんばれシェルティ、犬はアパートに住めないぞ!

収束

2003年4月1日
まだ時間が残っているようなので日記を書く。

近頃丸一日起きて半日寝る生活が続いています。
それを無理やり朝型に戻しまして起きたのは午前3時。
関係ないですがメッセをつけっぱなしにしておいて正解でした。

昨日物件探しはあきらめて細かい手続きをごそごそと。住民票を取り、その後に古い通帳を解約しに隣の市へと行ったのですが、どこにあるかわからないので道端の人に聞けばいいのにわざわざ静岡銀行に入り行員に聞く根性の曲がりっぷり、そしてこの通りを渡ってすぐのところにあると聞いたので確認してみるとたしかに目に見える場所にあるではないか、これじゃ確信犯みたいだ。

で、みずほ銀行にいき口座解約手続きをしようと受付の方に通帳を差し出した瞬間に警報が激しく鳴り響きました。やばい、銀行強盗かと思ったら単なる故障らしい。
手続きを続けてる最中にまた鳴ったので私が受付嬢に

「この警報は解約しようとすると鳴るようになってるんですかね。」

といったら受付嬢が思いっきり噴き出してました、どうやらツボにはまってしまったようです。

帰りに三島大社に寄って桜を見てきました。
とてもきれいだったのでその場でシート敷いて飲みたい気分でした。

家に帰りいろいろと電話をした、残念な回答ばかり。
これで相続放棄の選択が確実なものとなった。
で、そのまま寝てしまいました。

さて、先日居候二名に仕事の斡旋をしたがまだ返答をもらえていない。
片方はからだの調子が悪いなんて言い出すから病院代出すから診てもらってこいと言ったのだが全然動かず。

今日最後通告をし、4日までに決めてもらう。
返答次第で解散することになるだろう。
明日からネットはしばらくできそうにありません。
むしろありがたいことかな?

物件探して数時間、あまり限定しすぎてもだめだなあ、と素人は素人なりに最初に選んだ物件に甘んじるのであった。
さて、費用はどうする?

あんまり無理をしてしまうとチワワが出てきそうなので一休み。
実はひっそりとユーリアさんの日記を登録。
よろしくお願いします。

都合により

2003年3月29日
しばらくネットできないかもしれません。

●独り言
通勤にかかる費用と家賃の兼ね合い。
いくら家賃が安くても通勤コストが高ければ結果消費額は大きくなるのだ。
ところで
JRだけで行くと62,110円
乗換えで行くと41,300円
何なのこの差は…
とにかく部屋を借りるよりも安く上がることがわかりました、ただし時間的損失は大きいです。果たして交通費は出るのでしょうか。

仲介手数料。
敷金礼金のほかに仲介手数料が必要となる。
長い目で見れば…。

調べることは一通り終わったので「いつ私がいなくなってもいいように」処理をしておく必要があります。

いい歳したおっさんども、寝てないで働け。
家計くらいしっかり管理しろ、母様よ。

こんなところで文句たれても何も変わらないのは十分解っているので(恥晒しているだけ)、面と向かって言っておきました、仕事の斡旋もかねて。

ってかね
おかーーーーーーーーーーーーん
いい加減立ち直れや。

                    以上

実はやるべき事後処理がまだまだたんまりと…

半分寝ながら

2003年3月27日
『いくら殺し合いの戦争だからって やっちゃいけねえことってあるだろ』

引用:シェエラザード―浅田次郎著

中島吾市と言う人物があるときに放った言葉で、ストーリーを知っていけばこの言葉に込められた思いと重みが感じられるでしょう。

"人間の楯"これはシェエラザードの中にも何度か現れる言葉ですが今現在使われているそれとは違った意味がある、そこで人間の楯となってしまった人々はその使命を知ることはなく、また平和を願うと言う意味は込められていなかった。これに対し今の"人間の盾"と言うものは自ら望んで戦争を止めるという確固たる意志を持ち、現地に赴いているのだろう。

偉そうな事言える程の立場じゃないけど、本当にそれで攻撃をやめてくれると思っているのだろうか、もしも無視され被害者となってしまったら悲しむ人だっているでしょうに。

所詮人事、戦争をやめてほしい理由が自分の安全と思う人は必ずそう思っています、自分もそのひとり。
極端な話、家族や恋人が戦場のど真ん中にいたりして戦争の終結を願う人とただ平穏無事に過ごしたいと考えている人が同じ気持ちであるはずがない。

これまでに何百人と亡くなった人の家族はどう思っているのだろう、その遺族の生活は…その程度くらいしか考えることができません、何とかしようにも自分にはどうにかしようとするほど力もない。

それにしても爆撃以外に何か手段と言うものは本当になかったのだろうか・・・

あ、続きはどうなったんだろう。

2003年3月26日
ブルガリ オパフメ
シャネル アンテウス
ティエリーミュグレー A★MEN
ニナリッチ メモワールドム
ヴァイスバーサ
アリュール
・・・・・・・・・

今つけているのはディオールのファーレンハイト。
フォーマルなタイプの香りらしい、古いですけど。

香水のお話です。

上に並んでいるものはすべて甘い香りのするタイプのものです。甘い香りが好きだなと言ったら香水に詳しい友人がこういうのがある、と特徴の解説付で書いて渡してくれた。あまりに詳しすぎるもので回し者かと思ってしまうほどでした。
彼いわく「本棚のほとんどが香水で埋め尽くされている。」

(つづく)

片付けをしているとき、懐かしいものが出てくると思わず回想してしまう。そしてその後大事にとっておきたくなるもの。
今、ようやく捨てる気持ちになれたのか、そういった品々をほとんど捨て去ることができた。
正直、昔の思い出なんて思い出したくない、と強い嫌悪を感じていたからだった。それは亡くなった人間の思い出に対するものではないこと、ただ、深い思い出が含まれているものばかりであったと付け加えておく。

このとき自分自身の気持ちすらわからないと思った。

戯言

2003年3月25日
本来自分でやらなきゃならないことを人に任せておいて、それが当たり前のような態度をとられるとトサカに来ますよね。(業としているならば我慢しなければいけないわけですが。)

そいつの顔を見るたびに思う。
何で人の自賠責の手続きをとってやらないといけないのかと、どっちが加害者なのかわからなければ書類も集めようがないし、診断書だって自分で取ってくるものだと思います。
話し合いをつけてくれなきゃ示談書の書きようがないし、加害者じゃないと書くことはできない。
面倒くさいとか、恥ずかしいとか言うくらいで最低限やるべきことさえしないのであれば向こうから請求された賠償額を素直に払ってあげればいいじゃないですか。
そんなことを代わって色々とやってきた私は恥知らずですか。

「このたわけ!」

周りに親切にしてきた結果、ついてきたのは甘えるものばかり。
自分の親切に対する考え方を改めるべきであるだろう。

以上雄鶏の叫び。

ごめんなさい。
久しく楽しい日記なんて書いてないですね。
せっかく紹介していただいたのに申し訳ない気持ちです。

顔を上げてみればイラク攻撃のニュース。

私は人事であるかのように普段と変わらぬ生活している。
普段と変わらぬというよりは当たり前のことをやっている。

正直、爆撃なんてせずに兵隊送ってフセイン生け捕りの方が良かったんじゃないかと、素人的にはそう考える。

2003年3月22日
悲しみが 余韻を放ち 必須課題がこれを阻んだ。

行政手続は"一応"24日に片付くであろう。
解決に時間を要するもの以外は大抵片付けた。

その間に悲しみが入り込む余地など一切無かった。

こうしたお陰で以前の状態を維持していくことは可能となった、維持するだけならば。

ここに至るまで、頭だけじゃなく行動も伴わなければ意味を成さないこと、時間が必要なことなどをずっと思考の中でこねくり回す無駄足を踏むことを幾度となく繰り返していた。

ともあれ、基盤が確保されたことにより、改善策と見通しを立てることが次の課題となる。

改善は性質上間違いなく現状に手を加えることになる、家族だけでなく、それ以外の人の人生も預っているだけに慎重に行動していきたい。

本来の自分は、限りなく利己的で、善人面をした悪党である。

ゆえに面倒くさいと毎日思っている、これは本音である。世帯主としての責任と、今すぐにでも捨てたいお人よしの感情がこれを打ち消し、上回っているだけである。

そして、これからの解答を見つけるために数日かけることになるだろう。

霊の行方

2003年3月19日
神社に行き
葬儀供養して
埋葬した

ひとつの意志を残したまま
地の深くで眠る。

自分が死ぬまでにどうあるべきか
深く考えた。

―――3月14日

初七日

2003年3月17日
火葬場で最後に顔を拝み
二時間余りの時間を経
埋葬を待つ姿となった

その日、家運隆昌のお守りが外れ、役目を終えた。


―――3月12日

空のうえ

2003年3月11日
いろいろな行政手続をとって
霊安室に行ってもう一度拝んできて
礼服買ってきて
線香買ってきて
明日の支度もして
寝ることにする

明日は火葬

最後に一度だけ顔を拝んでおきたい。

この街との因縁はどれだけ深くなるのだろう。

花束

2003年3月10日
3月10日午前7時をまわった頃。
母親に起こされ、応接間に行くと警察官が2人座っています。

何事かと思い、話を聴くと義父が昨晩亡くなったとのことでした。

これから警察署に行ってきます。

しばらくは編集する気も起きないかも知れません。

余りにも突然で、今はまだ冗談としか思えない…

遺体は安らかに眠っているかのように落ち着いた表情でした。
昨日までは確かに元気だった、近頃明るくなってきたと思っていたけれども、もうその眠りから覚めることはないのである。

どんなに煩わしく感じていても
どんなに憎いと思っていても

それは生きているからこそ得られるものであって
生命の消失は、これと共にそれらの感情をもごっそりと奪い去ってしまう。

尊い命とそれに付随する様々な事象

それを断ち切った原因は何か、今のところ不明である。

願わくば真実を知りたい…

義父の肌は既に温もりを失っていた。

<加筆を繰り返しているため乱雑になっていると思います。>

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